くんすけ@練習の虫(@kunuke5_com)です。
私は過去にJNCCで、「FUN-C表彰圏外→2年後COMP-Bシリーズチャンピオン」という「超・急成長」をしました。
え!?!?そんなエグイ人いるの!?!?」と思った方へ、私の自己紹介はコチラ
皆さんは記念すべき「デビュー戦」はどうだったでしょうか?
誰しもが経験するデビュー戦。
この記事を読んでいる人の中には、もしかしたらデビュー戦をこれから予定している方もいらっしゃるかもしれません。
私のデビュー戦はどうだったかというと…
実はイキナリ入賞しました。
もしかしたらレースに出場されている方でも私が出たクラス、WEX90Cクラスで入賞経験がない方もいらっしゃるかもしれません。
ココに上達のヒントが何か隠れているのではないか?と思いました。
となっている「速くなりたい」読者のために、今回は私のデビュー戦の思い出と共に、振り返りながら「要素」をヒモといて考察していきます!
ヘボすぎる思い出
では、まず昔のくんすけがいかにヘボかったかを紹介したいと思います!(笑)
簡単に言うと恥ずかしい過去話ですね。
ゼッケンについて
全く知識がない私は、レースのエントリーをして自分のゼッケン番号が割り当てられたとき、このように信じこんでいました…。
今となっては当たり前すぎて話にならない、とんだ勘違いですよね(笑)。
違うコトを当時一緒に練習していた方に教えてもらい、笑われたのをよく覚えています。
ゼッケン番号をバラ売りしているのは知っていましたが割高だと感じたので、カッティングシートを買い、パソコンで番号を切り抜いて自作しました。
荷台のバイクを倒して登場
これも今は絶対にやらないし、やっていたらすかさず「ツッコミを入れる」と思いますが…。
当時はトランポが無くて基本自走で練習に行っていたので、知り合いから軽トラを借りてレース会場に向かいました。
そして、キツ目なカーブを曲がったときに事件は起きました…。
ドカーーーーン!!!!!!
後ろを振り返るとシッカリ固定したはずのバイクが倒れているではありませんか!?
それもそのはず。
カコのくんすけは何を思ったのか、バイクを「センタースタンドで上げた状態」でベルト固定していました。
グラグラして当たり前なのですが、何故そのように固定したのかは自分でもよく覚えていません(笑)。
レース当日
恥ずかしい過去の話はこれくらいにして…
当日のレースの話です。
会場は、くんすけの現在のホームコースであるX-PARK勝沼。
そして路面コンディションはマディ…。
それにより、スタートで並んでいる時に「空気圧を下げてない方いませんか?」とアナウンスがあったのを覚えています。
90分も連続してコースを走ったことが無かったので心配でしたが、「パッシングスキル」が皆無だった昔は、速い遅い関係なくひたすら誰かの後ろを走っていたので体力的に問題ありませんでした。
またレースデビュー前にX-PARK勝沼は何か月か通っていたので、「多少コースに慣れていた状態」であったと思います。
入賞出来た要素
では、何故イキナリ入賞するコトがデキたのか?
今回のメインである、その「要素」について深堀していきます。
私的には以下の4つがポイントだと思います。
バックボーンで「体幹」が強かった
「体幹」はどのスポーツにおいてもその重要性がうたわれています。
オフロードバイクも例に漏れず、ただでさえ転倒しやすい「2輪車」でガチャガチャした路面を走るのに「体幹」はとても重要となります。
柔道部時代
私は過去、中学1年生の頃は「ちびガリもやしっ子」スタイルだったので、入学時点で身長151㎝、体重38キロしかありませんでした。
そんな私は柔道部に入りましたが、入学当初は同期の女子(県で2位)にボロ負けしていました…。
文字通りボロ負けです。なんせ私のが小さくて軽くてヨワヨワでした。
部活は厳しくて週5回トレーニング、週2回柔道の練習という、今思えば体づくりメインのメニューを3年間こなした結果、足腰はかなり鍛えられて、最終的に県総体で1位となり県チャンピオンとなりました。
その甲斐あって、卒業時には身長170センチ、体重60キロまで成長しました。ボロ負けしていた女子には、結局「片手で余裕」くらいの実力差が付きました。
昔は「体幹」という言葉は全然聞きませんでしたが、体幹は強かったと思います。
ダンス部時代
そして高校生の頃からブレイクダンスにハマり、高校生時代は地元の駅の広場で大学生と一緒に練習していました。
大学時代はダンス部に入り社会人2年目くらい、バイクを始めるまでずーーっとやり続けていました。
この頃の見た目は、茶髪・ロン毛・腰パンの「超絶アタマ弱そう」スタイルでした…。理系の医療系の学部で大人しい人が多かったのでメチャクチャ浮いていたのを覚えています(笑)。
ダンスでも倒立したり、動いていた状態から「カチっ」っと止まるフリーズ、パワームーブと言われる「クルクル回る系」の技を練習したりと、モロに体幹を鍛えられました。
始めた時点で「指導者」が居た
私はスーパーメカニックおやぢの影響で、社会人になった後からオフロードバイクを始めました。
普通は車体やプロテクター類を購入する段階から始まりますが、「オールおさがり」でオフロードバイクライフをスタートさせました。
初めて河原でバイクに乗ってみた時は、まるで子供の時に自転車に乗れるようになった時のような「解放感」、どこでもイケちゃう感じがもーたまらなく面白かったです。
世の中にこんなに楽しい趣味があるんだ!!と感動したのをよく覚えています。
指導者といいつつもスーパーメカニックおやぢは、一緒に山に行ったときは、
みたいなことを言われて、当時の自分にとっては超絶スピードで先に行ってしまい、ヨロヨロと恐怖感マックスな状態で一生懸命追いかけた感じでした。
ヒルクライムも、私の「下手さ加減」を爆笑しながら動画撮影していました…(笑)
理論的にコツを教えてくれるという感じではなく、私の成長具合に合わせて走れるところを案内してくれました。
逆にコレがとても良かったようで、受動的に教わったことを学ぶのではなく、自分で考えたり情報を探したりするクセが付きました。
「走破性」がある程度あった
レースに出始める前は、山で練習するコトしか選択肢にありませんでした。
一言で「山」といっても、そこそこスピードを出せる林道区間や、ヒルクライム、ダウンヒル、緩い傾斜の登り&下り、丸太や根っこ、ガレ場など色々練習できる場所がありました。
毎回の練習が、走れるすべての箇所を一通り回ったら終わりみたいな感じです。
一緒に走っていたスーパーメカニックおやぢの練習スタイルが、
「短期集中でガッと走り、さっさと帰る」
という感じだったので同じ所を周回するとか、ダラダラ休憩している期間が短く、毎回自走で山に行っていたコトもあり、練習は午前中のみでした。
レースに出場した時点で約2年程、週1回山に通っていたので、「走りにくい路面」や「傾斜」には耐性があり、初めてX-PARK勝沼のエンデューロコースを走行した際も、問題なく1周することがデキました。
マディも問題なく走れた
毎週山に行くとなると、もちろん雨が降る時期もあります。
バイク乗りがみんなキライな時期。
梅雨です……。
昔はそんなの関係なしに山に通ってました。
選択肢がそこしかありませんからね(笑)。
もちろん最初は全くまともに走れませんでした。
今なら「空気圧を下げる」とか、「平坦な箇所で加速する」とか、「アクセルをガバ開けしない」とか色々テクニックがありますが、当時は全くそんなのなく、スーパーメカニックおやぢはそんな中ドンドン先に行ってしまいました(笑)。
そんな修業期間を経ているので、デビュー戦のWEX勝沼も少しマディでしたが、全く問題なく周回するコトがデキました。
おわりに(結論)
今回はデビュー戦で入賞!?要素をヒモ解き「上達のヒント」を考察というコトで、くんすけの過去の残念な話や入賞出来た要素について解説しました。
入賞出来た「要素」として以下の4つを紹介しました。
まとめると、マディに耐性があり、会場が練習したことあるコースで、ある程度登り&下りを走破できる状態にあったからだと思います。
X-PARK勝沼は「山」的な要素が強めなコース会場でしたが、他のゲレンデのコースも同じで「傾斜のついた路面」をある程度走れることが重要であると、この記事を書いていくにあたり気が付きました。
最近はクロスカントリー&エンデューロレースはドンドンとハイスピード化してきている傾向にあり、スピードが必要なのは大前提ですが、「傾斜のついた路面」の練習も必要であると、今回は結論づけたいと思います。
ちなみに、モトクロスライダーは一見平坦な箇所しか走っていないように見えて、斜面でサスを入れてジャンプの飛距離を伸ばしたり、下りながらのジャンプがあったりなど、「傾斜」で正しいフォームを作るコトに長けているので、エンデューロコースも慣れればすぐに速くなります。
私たちエンデューロライダーと比べると、積み上げてきた「基礎」が違いすぎますがからね。
今回の内容は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。